新潟大学人文学部人文学科3年の渡邉望生です。2026年3月9日(月)、廣部俊也先生の退職記念談話会が新潟大学五十嵐キャンパス総合教育研究棟B255教室にて行われました。当日は、在学生や教員に加えて、多くの卒業生が参加するなど、学内外から数多くの方がいらっしゃり、教室後方に設置された寄せ書きポスターにも様々なメッセージが寄せられていました。
初めに、教員の高橋早苗先生及び近世ゼミ4年生から、廣部先生についてのご紹介がありました。高橋先生からのご紹介では「音楽R」等、近世文学以外の分野で廣部先生がご担当された授業についてのお話もあり、私自身が知らなかった廣部先生の一面についても伺い知ることが出来ました。そして、近世ゼミで卒論を執筆された先輩からのご紹介では、近世文学に興味を持ったきっかけや、卒論執筆の中で先生から学んだことなど、非常に様々なお話をお聞きすることが出来ました。
続いて、「戯作はやはり文学ではない」というテーマでの、廣部先生のご講話がありました。近世文学についてはこれまでの授業でも学ぶ機会はありましたが、今回のお話を通じてより深く理解すると共に、長年に渡って国文学の研究と向き合ってこられた廣部先生の「戯作」や「文学」といったものに対するお考えも知ることができたと思っています。中でも特に印象的だったのが、近現代の文学とは大きく異なる近世の戯作の意識についてお話です。「文学」という看板の元で定義づけられる古典作品や近現代の文学とは異なり、近世の戯作は古典的なものにはなり得ない、書くことそれ自体を楽しむ「遊び」である、という意識を抱えている、という説明がありました。エクリチュール、という言葉もありますが、近世の戯作はそういった意識ゆえに古典作品と意図的に距離を取っており、その距離感が表現として表れたのが「もじり」であるそうです。そして、黄表紙における自己言及の意味も、草双紙の型を保ちながら出版の営みそれ自体に読者を取り込み「これは遊びだ」というメッセージを発し続けるというところにあるのではないか、というご考察もお聞きしました。
個人的に、近世文学は古典とも近現代の作品とも異なる難解さがあると感じていました。しかし、今回のお話を通して、近世の作品は「文学」という言葉で括ることが困難なほどに唯一無二の魅力があるのだと再認識しました。
そして最後には、国語国文の学生(三・四年生)一同から廣部先生に花束をお贈りしました。談話会の後には、ゼミ生や卒業生の皆さんが廣部先生と和やかに歓談している姿も見られました。
そして最後には、国語国文の学生(三・四年生)一同から廣部先生に花束をお贈りしました。談話会の後には、ゼミ生や卒業生の皆さんが廣部先生と和やかに歓談している姿も見られました。
廣部先生は本年度限りで退職されますが、私自身も廣部先生から学んだことを心に留め、国語国文の一員としてこれからの卒論執筆に取り組んで行きたいです。今回、このような場に参加させていただけたことは、私自身としても貴重な経験になったと感じています。
そして末筆にはなりますが、廣部先生、改めて、ご退職おめでとうございます。先生のこれからの時間が健やかで幸せに満ちたものとなることを、心よりお祈り申し上げます。長きに渡る温かいご指導、本当にありがとうございました。
そして末筆にはなりますが、廣部先生、改めて、ご退職おめでとうございます。先生のこれからの時間が健やかで幸せに満ちたものとなることを、心よりお祈り申し上げます。長きに渡る温かいご指導、本当にありがとうございました。
(人文学部人文学科3年 渡邉望生)


